郡山遊郭跡(赤木)
郡山遊郭跡地をご紹介します。
郡山は奥州街道白河以北の宿場町でした。
郡山市史4巻によると江戸時代から多くの娼妓(飯盛女)がいたとされ明治34年に今の
赤木に移転され当時は町名を相生町とされたようです。
電柱付近の両端には石の門標があったのですが、東日本大震災後に撤去されたようです。
門標自体をどこかにあるか付近を探したのですが見つけることが出来ませんでした。
↑は門標があったと思われるところで何も残っていません。
遊郭街だったところは周辺の道幅より広くなっており今はビジネスホテルが一軒あるのみで
今はもうここが遊郭跡だったという面影は残っていない状況でした。
人によっては遊郭というのは隠したいとか後ろめたいとかネガティブな面を思う方もいらっしゃると思いますが私自身は決してネガティブな要素は思い当たらず、郡山宿の発展を支えた立派なお仕事だったと思います。
郡山の風俗史をもっと調べてまたブログに書いていきたいと思います。
遊郭街へと繋がる道。
近くにあったソメヤ、染物する染物師のお店でしょうか。シャッターが閉まっているので確認できませんでした。
次回は近くにあった病院を紹介します。東日本大震災で被災し現在は移転し解体工事をしています。
続く